古代における落雷による事故

天智天皇8年8月(669年9月1日から30日)
藤原鎌足の屋敷に落雷がある(日本書紀、日本紀略、扶桑略記)。

天智天皇9年4月30日(670年5月24日)
法隆寺落雷により被害がでる(日本書紀、日本紀略、大日本史)。

朱鳥元年7月10日(686年8月4日)
飛鳥浄御原宮民部省(民政を担当した役所)に落雷があり、被害がでる(日本書紀)。

大宝2年6月28日(702年7月27日)
藤原京の海犬養門に落雷がある(続日本紀)。

大宝2年8月8日(702年9月4日)
倭建命の陵墓に落雷がある(続日本紀、分類本朝年代記)。

天平2年6月29日(730年7月18日)
藤原京神祇省(祭祀を担当する役所)に落雷があり、被害をうける(続日本紀、分類本朝年代記)。

天平勝宝2年5月24日(750年7月2日)
中山寺で塔・歩廊が落雷により全焼する(続日本紀)。

天平神護2年12月28日(767年2月1日)
大安寺に落雷がある(続日本紀)。

宝亀2年1月(771年1月21日から2月18日)
春日大社の鳥居に落雷がある(興福寺略年代記)。

宝亀3年4月5日(772年5月11日)
西大寺の塔に落雷がある(続日本紀)。

宝亀7年7月19日(776年8月7日)
西大寺の塔に落雷がある(続日本紀)。

宝亀8年4月13日(777年5月24日)
藤原京太政官舎に落雷がある(続日本紀)。

宝亀11年5月25日(780年2月23日)
平城京中の複数の寺が落雷により被害が発生する。特に薬師寺西塔、葛城寺塔・金堂は被害が大きく、全焼する(続日本紀、分類本朝年代記)。

延暦元年7月3日(782年8月16日)
平城京大蔵東長蔵で落雷により火災が発生し、内厩寮の馬2頭が死ぬ(日本後紀、続日本紀)。

延暦13年7月10日(794年8月9日)
宮中および畿内で落雷があり、死者がでる(日本紀略、扶桑略記)。

延暦18年3月1日(799年4月10日)
民部省の倉に落雷がある(日本後紀)。

弘仁6年6月24日(815年8月2日)
山城国で落雷のため死者がでる(日本後紀)。

天長2年6月2日(825年6月21日)
中務省(公的な文書の作成などを担当した役所)の北門近くに落雷がある(日本紀略)。

天長7年7月16日(830年8月8日)
内裏にある曹司(官吏や女官の詰め所)に落雷がある(続日本紀)。

承和2年(835年)
天王寺の塔に落雷があり、被害がでる(分類本朝年代記)。

承和3年7月21日(836年9月5日)
平安京の朱雀大路に落雷がある(続日本後紀、日本紀略)。

承和3年12月16日(837年1月15日)
四天王寺に落雷があり、塔が破損する(続日本後紀)。

承和5年8月14日(838年9月6日)
柳のところで休んでいた男性1名が亡くなり、女性1名が足のすねに傷をおう(日本紀略)。

承和6年8月17日から29日(839年9月29日から10月10日)
出羽国(東北地方の西部)で落雷が10日以上続く(続日本後紀、和漢三才図会)。

承和8年7月15日(841年8月5日)
京の内裏(大内裏の中にある天皇の住居)にある大極殿(大内裏の朝堂院の中にある正殿。本来は天皇が執務をとる場所であったが、次第に儀式のみに使われるようになる)に落雷がある(続日本後紀)。

喜祥元年7月29日(848年8月31日)
京の各地11ヶ所以上に落雷あり、被害がでる(続日本後紀)。

喜祥3年6月3日(850年7月15日)
西寺に落雷があり、被害がでる。また、右馬頭藤原春津の屋敷に落雷がある(文徳実録)。

斉衡2年6月6日(855年7月23日)
大内裏の南にある建礼門近くに落雷がある(文徳実録)。

天安2年6月7日(858年7月20日)
和泉国(今の大阪府の一部)で落雷により官舎など60ヶ所以上が破損し、死者がでる(文徳実録)。

貞観元年4月1日(859年5月6日)
京の東部に落雷があり、民家2軒が被害にあう(三代実録)。

貞観元年7月19日(859年8月20日)
大内裏の北東にある内教坊(舞踊などを担当した役所)に落雷がある(三代実録)。

貞観11年7月13日(869年8月24日)
大内裏の西にある武徳殿(天皇競べ馬などをご覧になるところ)の近くに落雷がある(文徳実録)。

貞観13年8月11日(871年8月30日)
京の東部で落雷により人が死亡する(文徳実録)。

貞観16年6月14日(874年7月30日)
京の東部で落雷により牛が死ぬ(三代実録)。

貞観17年6月(875年)
京の大内裏の南に接するように造られた神泉苑(天皇の遊覧などのためにつくられた池)で落雷のため、死者がでる(分類本朝年代記)。

元慶2年6月16日(878年7月19日)
東寺に落雷がある(三代実録)。

元慶2年9月26日(878年10月25日)
紀伊国(現在の和歌山県のあたり)、大和国(現在の奈良県のあたり)で大雷雨があり、官舎21ヶ所が破損した他、多くの建物が破損し、死者も多数出る(三代実録)。

元慶8年3月15日(884年4月14日)
常住寺の塔に落雷があり、講堂・金堂などが全焼する(三代実録、扶桑略記)。

元慶8年7月27日(884年8月21日)
山城国(現在の京都市とその周辺)の穀倉に落雷があり、焼失する(三代実録)。

仁和2年3月13日(886年4月20日)
東寺の塔が落雷のため、焼失する(三代実録、大日本史料、和漢合運指掌図、分類本朝年代記、明治早見年代記、扶桑略紀)。

仁和2年4月20日(886年5月27日)
京の三条で落雷のため、女性が亡くなる(三代実録)。

寛平3年6月14日(891年7月22日)
伊勢神宮の近くで落雷により男性1名、牛1頭が被害をうける(太神宮諸雑事記、伊勢公卿勅使雑例)。

延喜10年5月14日(910年6月23日)
亮子院の東に落雷があり、子供1人が亡くなる(日本紀略、大日本史)。

延喜13年6月21日(913年7月27日)
亮子院に落雷があり、藤原有時の従者の子供が亡くなる(貞信公記)。

延喜18年6月24日(918年8月3日)
東寺の金堂が落雷により焼失し、僧坊が破損する(扶桑略記、大日本史)。

延長6年5月29日(928年6月19日)
大内裏の朝堂院(即位などの重要儀式に使われた正殿)の南にある会昌門が落雷により炎上する(扶桑略記)。

延長6年7月11日(928年7月30日)
西大寺の塔に落雷があり、全焼する(扶桑略記)。

延長8年6月26日(930年7月24日)
宮中に落雷があり、宮中に集まっていた大納言兼民部卿藤原清貫、右中弁内蔵頭平希世らが死亡する(日本紀略、扶桑略記、九条殿遺誡、体源抄、荏ネ天神縁記、和漢年契、読史余論、和漢合運指掌図、太平記、撈海一得)。

承平元年2月13日(931年3月4日)
内裏の西南にある修明門の近くに落雷がある(日本紀略、扶桑略記、貞信公記、新儀式)。

承平4年閏1月15日(934年3月3日)
陸奥国(東北地方東部)の国分寺の七重塔が落雷のため焼失する(日本紀略)。

承平4年10月19日(934年11月28日)
東大寺の西塔・廊下が雷火により焼失する(日本紀略、扶桑略記裡書、東大寺別当次第、一代要記、東寺王代記、和漢合運指掌図、分類本朝年代記)。

承平5年3月6日(935年4月11日)
比叡山延暦寺の中堂が落雷のため被害がでる(高野春秋輯録、永代年代記大成、分類本朝年代記)。

天慶5年7月3日(942年8月17日)
東院の塔が落雷のため焼失する(和州久米寺流記)。

天慶7年1月9日(944年2月5日)
落雷のため長谷寺の仏像などが焼失する(東寺王代記、分類本朝年代記)。

天暦3年11月10日(949年12月2日)
大安寺西塔が落雷により全焼する(日本紀略、扶桑略記)。

天暦6年6月26日(952年7月20日)
高野山奥院廟塔が落雷のため焼失する(高野春秋輯録)。

天徳4年2月17日(960年3月17日)
内裏の大膳職(宮中の食事を担当した役所)の西にある醤院に落雷がある(日本紀略)。

慶和元年5月22日(961年7月7日)
京の西部で落雷により子供1人が死亡する(扶桑略記)。

慶和2年6月19日(962年7月23日)
内裏の右兵衛府の近くに落雷がある(日本紀略)。

天延2年7月6日(974年7月27日)
内裏の典薬寮(宮中の医療、薬などを担当した役所)に落雷がある(天延二年記)。

天元元年7月23日から24日(978年8月29日から30日)
右近陣(大内裏の中にある右近衛府の役人の詰所)、陰陽師安部清明の屋敷に落雷がある(百練抄、日本紀略)。

正暦2年3月3日(991年3月20日)
長谷寺の近くに落雷・火災があった影響で長谷寺が炎上する(分類本朝年代記)。

正暦4年7月20日(993年8月10日)
平安京大内裏の南にある門の一つ美福門が落雷で被害をうける(日本紀略、外記日記、百練抄)。

正暦5年7月6日(994年8月15日)
高野山金剛峰寺の大塔・講堂・僧坊などが落雷による火災で焼失する(興福寺略年代記、和漢合運指掌図、高野山文書、高野春秋輯録、史料綜覧、分類本朝年代記)。

長保2年4月7日(1000年5月13日)
内裏にある豊楽院(節会などの行事を行ったところ)招俊堂に落雷があり、被害がでる(日本紀略、扶桑略記)。

寛弘2年5月23日(1005年7月2日)
大監物輔範・中納言源俊賢の屋敷に落雷がある(小右記)。

長和元年6月28日(1012年7月19日)
宰相中将が泊まった家に翌日落雷がある(小右記、日本紀略)。

寛仁元年6月22日(1017年7月18日)
興福寺の五重塔・地蔵堂などが落雷のため焼失する(僧綱補任、日本紀略、興福寺略年代記、百練抄)。

寛仁2年6月29日(1018年8月13日)
内裏の東側の門の一つ宣陽門、左兵衛府などが落雷のため被害をうける(左経記、小右記)。

治安2年11月1日(1022年11月27日)
祟福寺の仏像堂が落雷のため全焼する(左経記)。

萬寿4年5月24日(1027年6月30日)
平安京大内裏にある豊楽院観徳堂に落雷があり、炎上する(日本紀略、扶桑略記)。

長元元年8月4日(1028年8月26日)
大夫史貞行の屋敷に落雷があり、女房(宮中に仕えた女官)1人が死亡、1人が負傷する(左経記)。

長元4年7月25日(1031年8月15日)
大内裏にある豊楽院に落雷がある(小右記、大日本史)。

天喜3年8月21日(1055年9月14日)
東寺の塔が落雷により焼失する(扶桑略記、僧綱補任、百練抄、高野春秋輯録、東要記、東寺王代記、東寺長者補任、興福寺略年代記、皇年代略記)。

天喜5年7月14日(1057年8月16日)
東大寺の東塔の柱が落雷により破損する(東大寺別当次第)。

承暦4年閏8月3日(1080年9月18日)
伊勢神宮に落雷があり、被害がでう(水左記)。

康和5年5月25日(1103年5月25日)
祇園社の杉に落雷がある(本朝世紀、中右記)。

嘉承元年4月13日(1106年5月17日)
加茂別社が落雷による火災で全焼する(大日本史)。

嘉承元年6月9日(1106年7月11日)
興福寺に落雷があり、炎上する(中右記)。

嘉承2年6月21日(1107年7月13日)
山城国京極堂の北廊上に落雷があり、北政所御堂・南北廊・中門・西大門が炎上する(中右記、十三代要略)。

嘉承2年7月1日(1107年7月22日)
兵衛佐忠長の屋敷に落雷がある(中右記)。

天仁元年6月14日(1108年7月24日)
比叡山延暦寺の高僧行算の家に落雷がある(中右記)。

天仁2年6月23日(1108年7月22日)
四条宮に落雷がある(史料総覧)。

永久元年6月17日(1113年7月31日)
法勝寺に落雷がある(史料総覧)。

永久4年6月29日(1116年8月9日)
春日社の祓戸に落雷がある(史料総覧)。

元永2年7月29日(1119年9月5日)
備前守平正盛(平清盛の祖父)の屋敷に落雷があり、門が破損する(中右記)。

大治元年6月18日(1126年7月10日)
清水寺の塔に落雷がある(中右記)。

長承2年6月15日(1133年7月18日)
太政官東庁および六条大宮顕盛の屋敷に落雷がある(中右記)。

長承2年7月14日(1133年8月16日)
民家が落雷のため焼失し、2人が亡くなる(中右記)。

保延6年閏5月16日(1140年7月2日)
山城国法成寺の西塔と行願寺の塔が落雷により全焼する(十三代要略、百練抄、僧綱補任、古事類苑、興福寺略年代記)。

久安3年3月9日(1146年4月21日)
前斉院(賀茂神社の祭事を担当した未婚の女性の皇族)官子内親王の屋敷に落雷があり、源経光、下野守明国子が死亡する(本朝世紀、百練抄)。

久安5年5月12日(1149年6月19日)
高野山の塔・金堂・潅頂堂が落雷で焼失する(高野山文書、本朝世紀、僧綱補任、分類本朝年代記、興福寺略年代記)。

久安5年6月4日(1149年7月10日)
法成寺に落雷がある(本朝世紀)。

仁平元年2月21日(1151年3月10日)
白川堂に落雷があり、炎上する(本朝世紀、台記)。

仁平2年5月20日(1152年6月24日)
太政大臣五条東洞院の屋敷に落雷がある(本朝世紀)。

仁安3年7月17日(1168年8月21日)
平清盛の近くに落雷があり、難波経房が死亡する(百練抄、神皇正統録)。

喜応元年11月12日(1169年12月2日)
法勝寺の九重塔が落雷のため焼失する(百練抄)。

承安4年6月22日(1174年7月22日)
大膳権大夫泰親の屋敷が落雷のため破損し、従者が死亡する(顕広王記、玉葉、百練抄)。

承安4年7月20日(1174年8月19日)
法勝寺の九重塔に落雷があり、仏像や柱などを破損する(百練抄)。

安元2年3月1日(1176年4月11日)
法勝寺の九重塔に落雷があり、2名がなくなる(顕広王記、玉葉、百練抄)。

安元2年6月23日(1176年7月30日)
京で落雷のため、2名がなくなる(顕広王記、玉葉、百練抄、歴代皇紀)。

治承3年3月24日(1179年5月2日)
善光寺に落雷があり、火災が発生する(分類本朝年代記)。

治承4年12月28日(1181年1月15日)
山城国八坂神社の塔が落雷により炎上する(如是院年代記)。

寿永元年6月23日(1182年7月25日)
東洞院の周辺に落雷がある(玉葉)。

寿永元年7月9日(1182年8月9日)
藤原頼輔の屋敷に落雷がある(吉記)。

寿永2年7月24日(1183年8月13日)
落雷により清水寺宝殿の回廊などが被害をうける(百練抄、吉記)。

文治3年4月14日(1187年5月23日)
鎌倉幕府の政所(鎌倉幕府の財政などの庶務を担当した役所)周辺にある大江広元のうまやに落雷し、馬3頭が死ぬ(吾妻鏡)。

建久元年7月5日(1190年8月7日)
摂政九条兼実の屋敷に落雷がある(百練抄)。

参考文献

  • 「日本の災害史(第1巻〜第4巻)」(著者 三浦幸一郎  発行所 三浦幸一郎)
  • 「日本史小百科 災害」(著者 荒川秀俊、宇佐美龍夫  発行所 近藤出版社)
  • 「日本の天災・地変 上・下」(編集 東京府社会課  発行所 原書房)
  • 「日本史分類年表」(著者 桑田忠親  発行所 東京書籍)
  • 「雷の話」(著者 神田選吉  発行所 電友社)
  • 「名前から引く人名辞典」(編集 日外アソシエーツ  発行所 日外アソシエーツ)
  • 「日本史総覧」(監修 児玉幸多/他  発行所 新人物往来社)
  • 「国史大系」(編集 黒板勝美、国史大系編修会  発行所 古川弘文館)
  • 「日本叢書索引」(編修 広瀬敏  発行所 名著刊行会)
  • 「古典籍総合目録」(編集 国文学研究資料館  発行所 岩波書店)

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